皆様こんにちは。着付師のコヤノミツグです。
当ページへのご訪問ありがとうございます
全国で衣裳方として各流派日本舞踊会を中心に活動する傍ら、現代の衣裳(振袖、婚礼衣裳、訪問着など)の着付師としても活動しております。
また、今年からは「きつけ塾こやの」を主宰し、現場を飛び回りながら磨いた実践的な技術を、余す処なくお伝えしております。
私は高校卒業後に大阪にある東洋きもの専門学校に進学したことがキッカケで着付けと出会い、着付けを続けて今年で21年目となります。
人にはそれぞれ様々な “人生の転機“ があるかと思いますが、今日は私に訪れた “着付け人生の転機“ について書いてみたいと思います。
私は現在39歳、技術者としても人間としてもまだまだヒヨッコ、まだまだ着付けの道は半ばですが
現在の心境と、これまでの私の着付道をつらつらと書いていきたいと思います。
- なぜキモノの着付けだったのか
- なぜ20年続けているのか
- “転機” が訪れる度に学びを深めてきた理由
このコラムをご覧の方の中には現在、お仕事として着付けをされている方、今後着付けをお仕事にしたいとお考えの方にも何かの気づきになれば幸いです。
東洋きもの専門学校にて “着付け”と出会う
家業であったキモノ創作卸売の道へ進むため、キモノの勉強ができる学校を探していたところ、大阪にある東洋きもの専門学校を見つけ、進学を決めました。
当時のカリキュラムは、和裁を中心に、着付け、キモノデザイン、創作実技など3年をかけてキモノに関して広範囲に学べるとあり、まさに探していた学校でした。
意気込んだ入学式・・・
あれ?
新入生に男性は私一人(笑)
まぁまぁ落ち着いて
先輩には男性がいるだろう・・・思いましたが・・・
在校生で男性は私一人でした
こりゃどうするかな…やっていけるか??
そんな3年間の幕開けでした
授業の半分以上が和裁の実習で、当然、手縫いです
それまで持ったこともなかった “縫い針” を持ち、チクチク運針(うんしん)の練習から始まり、3年生の頃には訪問着や黒紋付を縫いました。
着付けも毎週授業があり、卒業時には着付けインストラクターの資格まで取得しました。
こうして過ぎた3年間でした。
キモノスタイリスト冨田伸明先生との出会い
さて、私の一つ目の転機と言ってもいいのが、キモノスタイリスト冨田伸明先生との出会いです。
専門学校2年生になったある日
「今年度からキモノスタイリスト実習が授業に加わります」と伝えられました。
担任の先生曰く、某有名キモノ専門誌に特集ページを持ち、雑誌、映画、ドラマのキモノシーンを沢山手掛けていらっしゃるスタイリストの先生を特別授業にお招きするとのことでした。
そこへいらしたのが キモノスタイリスト冨田伸明先生 でした
当時、年間250名の女優さんの衣裳を手掛けていらっしゃり、芸能界屈指のキモノ専門のスタイリスト。
第一線で活躍されている生の技術や現場の仕事を直接学ばせていただけた貴重な授業でした。
授業中、男一人の私は目立ったのでしょう
キモノ業界にも詳しかった冨田先生は、度々私の卒業後の進路を心配してくださいました。
その時に思ったのです。
『冨田先生の元で修行したい』
それまで、将来的には実家のキモノ創作卸売を継ぐと決めていたので、卒業後の進路は二択でした。
①呉服専門店さんへ修行に入る
②京都の卸問屋さんを就職先に探す
冨田先生との出会いで3つ目の選択肢ができたことで、一度、父に同行してもらい京都の冨田先生の元へ修行のお願いに伺いました。
が、最初は見事に断られました笑
しかし、他に道はないと私が勝手に思っていたので、再々のお願いをして最終的には『いちからやり直す気持ちでいらっしゃい』と了承してくださいました。
人生で最も長く感じた2年間〜冨田先生の元での修行〜
卒業後、冨田先生の元で修行が始まりました。
今思い返してみても、人生で一番長く感じた2年間でした。
オフィスは棚びっしりに整理された衣裳、ドラマ、映画の台本でデスクは溢れていました。
冨田先生のキモノスタイリストの仕事内容
女優さんが最も輝く衣裳を選び、役柄、時代考証を踏まえた最適なコーディネートをすることです。
テレビ局や撮影現場担当の衣裳屋さんと打ち合わせがあり、女優さんとの衣裳合わせもあります。
それ以外にも全国の呉服店さんよりイベントのゲスト、専門学校の特別講師をこなしていらっしゃり、なんと目まぐるしい日々だったでしょう。
私もずっと同行していたので月の半分以上は出張の日々でした。
現場での私(コヤノ)の仕事
そんなマルチにこなす先生の元、修行中の私がする仕事というのは、先生がコーディネートした衣裳を俳優さんやモデルさんに衣裳合わせのための着付けをする、というものでした。
ここで学んだことは数え切れません。
絞り出して書くとすると
『人気商売である俳優業、その方達の信頼を得るための仕事、センスと行動力』
『雑誌撮影のシャッターを切る瞬間に女優さんの心からの笑顔を引き出すためには何が必要なのか』
『身長、体型、顔に合わせる着付け』
『全てはあなたがどう見られるか、私はあなたをどう魅せるか』
着付けに関しては、半衿の出し方、衿巾、帯巾、おはしょりの長さ、帯締めの位置、角度、帯揚げの出し方などが全て、一人一人に対して違いました。
基本何センチ、なんて教科書の着付けは全くありません。
とにかく大変な仕事ではありましたが、トップスタイリストの仕事を側で見せて頂いた貴重な経験、そして学びは今考えても何物にも変えられない大きな経験でした。
着付けの本質に気づかされる
冨田先生の側で “着付けの本質” を気付かされたのです。
『美しい衣裳を着ても、着付け一つで評価が大きく変わる』
これが私の着付けの指針であり目標となっています。
岡山の着付けの師との出会い
京都での修行後、24歳で岡山県倉敷市へ戻り、家業へ入りました。
キモノ創作販売に携わりながら、着付けもお仕事をいただくこともあったので続けてはいました。
そんな折、地元写真館へに行かれている着付師の先生からお声がかかりました。
『来年の成人式、人手が足りなくて着付けに入れないかしら?』
私はもちろん受けさせていただきこう答えました。
『はい。行かせてください、成人式まで半年ありますので、ご迷惑にならないようお稽古して伺います』
このご依頼が私の大きな転機となり、その後、岡山では知る人ぞ知る着付け講師、西美代子先生をご紹介していただくことになります。
成人式の着付けで感じた経験不足
半年後、成人式の着付けをお手伝いに行き、自身の現場経験不足を痛感しました。
十人十色の体型に対して補整の入れ方、腰紐の締め具合、帯の締め具合、どれか一つでも不十分だと仕上がりの着姿に正直に現れます。
衿の合わせ方と角度が少し変わるだけで、首が長くも、短くも見えてしまいます。
そして、それがよく分かるのが、写真なのです。
成人式のお支度後、私が着付けた写真を見返した時の悔しさは計り知れません。
『もっとこうしたかったのに…』と成人者に申し訳ない気持ちになったことは今でも忘れません。
京都修行時代に学ばせてもらった(と思っていた)美しく魅せる着付けの “知識” はあっても “表現” できるだけのスキルがなかったのです。
着付けの師である西美代子先生との出会い
そんな中、私の叔母の着付けの師匠である西美代子先生との出会いが訪れます。
叔母から話を聞くには、技術は勿論だが、『人間の生き様』のお手本、生徒みんなの憧れであり、ほとんどの生徒が辞めないと。
キモノ屋まがいな着付け教室が溢れる昨今、純粋に着付けの技術指導だけを徹底されている。と聞いてご挨拶に伺ったのがきっかけでした。
実際にお会いしてみると、評判以上の御方でした。
紹介していただいたのが岡山では知る人ぞ知る着付け講師、西美代子先生でした。
私が入門したのが15年前、御歳85歳でいらっしゃいましたが、今年100歳を迎えられる現在も現役で多くの生徒さんを御指導されていらっしゃいます。
もはや「生きる伝説」の先生です。
技術はさることながら、人様への姿勢、己との向き合い方、生き方を言葉だけでなく自らの行動と結果で見せてくれる御方です。
西先生との御縁が、その5年後、私が日本舞踊着付けの世界へ入り込む大きなきっかけになります。
15年前に成人式の着付けをお声かけくださった写真館さんへは現在も毎年成人式へお伺いさせていただいており、連絡をくださった先生とも様々な機会でご一緒させていただいております。
永くお付き合いを頂けて、本当にありがたく思っております。
29歳で舞踊着付けに出会う
西美代子きつけ教室で学びを続けて4年が過ぎた頃、教室主催のイベント内で着付けショーがありました。
ここで衝撃的な着付けとの出会いがあります。
日本舞踊の着付け『京舞妓と関東芸者』
このショーをご指導されていたのが九州一円を中心に全国で活躍されている衣裳方集団の代表であり、『きつけ塾いちき』を主宰されている市来 晃 理事長、市来 康子 学院長 でした。
そして、何を隠そう私を指導くださっている西美代子先生の師でもあり、いわば雲の上の先生方だったのです。
舞踊着付けに挑戦
日本舞踊の着付けショー、私が見たのは『着付け』というより『研ぎ澄まされた職人の技』でした。
凄い!かっこいい!私も自分のモノにしたい!そう感じました。
そんな時に『古谷野さんも挑戦しませんか』と西美代子先生にお声かけいただきました。
チャンスが舞い降りたと直感し、西先生の元で舞踊着付けの基礎を学ぶことにしたのです。
そして、基礎を学び終わった3年経ったある日、西先生より『ここから先は本部の市来先生の元へ行きなさい』と言われました。
3年をかけて学んだのは基礎の基礎です。舞踊着付けの真髄はまだまだ先にあると分かっていました。
現場での経験を積み、もっと深めて行きたいと思い、思い切って九州の市来先生の門を叩くことにしました。
『舞踊の現場で活躍するには10年はかかりますよ』
『あなたをいつまでも応援してるから』
愛情あふれる後押しをいただき、2017年より九州の『きつけ塾いちき』へ入門となったのです。
私の人生を想い、ご配慮下さった西先生には感謝してもしきれません。
舞踊着付けでの学びは他でも沢山書いてますので他のコラムをご覧ください。
2023.04.26
日本舞踊を習っている方にこそ学んでほしい舞踊着付け
皆様こんにちは。 岡山県倉敷市にて着付け塾を主宰しておりますコヤノミツグです。 全国で衣裳方として各流派日本舞踊会を中心に活動...
【終わりに】
どんな業種でも技術者って孤独です。
お客様と向き合い、己の技術を施す。
そしてお客様の評価は100%己に返ってきます。
現場に入ってしまえば自分のスキルが全てであり全責任を負います。
成人式を例にあげてみても、我々着付師にとってみれば毎年やってくる行事で、一人で複数人の新成人を着付けます。
しかし、新成人の皆様にとってはどうでしょうか。
成人式は、一人ひとりが人生1度きりの節目の行事なのです。
キモノを着ることが七五三ぶりで、大人になってから初めてのキモノという方が非常に多くいらっしゃいます。
そして、その時の着付けの印象が一生付きまとうと言っても過言ではないでしょう。
新成人の皆様は朝早くから支度へ出掛けて寝不足状態、決して体調万全ではないはずで、その身体へ我々は腰紐をかけるわけです。
ですから常に『アナタとワタシ』
一人ずつの新成人の方に真摯に向き合わなければならないと自分に言い聞かせています。
着付けが『繰り返し作業』になっては絶対にいけないのです。
私が修行時代に感じてから変わらない、指針と目標があります。
『心からの笑顔を引き出す』
これは冨田先生のところでの修行からの学びでもあります。そのために学びを続け、チャンスがあれば学び直し、継続しています。
「想い」だけではスキルは追いつきません。想いがあればあるほど、それをカタチにしなければいけないのです。
そのためには必ず高いスキルが必要で、磨き続けようとする想いがあるからこそより良い着付けができるのだと思います。
そして、現代の方は人生の中でキモノを着る機会は非常に少ないです。特に成人式の振袖を着たときの印象が、その後、キモノを着るかどうかに関わっているといっても過言ではありません。
お一人お一人との仕事の積み重ねが日本民族衣裳であるキモノの未来へ繋がると信じています。
微力ながら頑張ります。
最後までお読みくださりありがとうございました。
舞踊の着付けのご依頼、教室のお問合せは下記より承っております。
衣裳方 古谷野 貢
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