みなさま、こんにちは。日本舞踊の衣裳着付けをしておりますコヤノミツグです。
今日は私が名刺を出した時に必ず聞かれる
「日本舞踊の着付けって何?」
「普通の着付けと何がちがうの?」
ということについて書きたいと思います。
少しでも日本の「日本舞踊」という歴史ある文化を知っていただければ嬉しいです。
私自身も驚き、気づいたことをつらつら書いてみたいと思います。
日本舞踊とは伝統的な舞と踊り
そもそも日本舞踊とは?と聞かれてパッと答えれる方は少ないかと思います。
日本の伝統的な踊りの総称で、一般的には、伝統的な “舞” であり “踊り” です。
細かい動きまで型が決まっており繊細な “踊り” であり、”舞” なのです。日本舞踊は、民俗的なものではなく、舞台上で披露することを目的としているものがほとんどです。
舞と踊りの始まりは神に捧げるもの
舞や踊りは、日本の神話では天照大神(アマテラスオオミカミ)が天の岩屋戸にお隠れになった時、その前で踊ったのが起源だと言われています。
舞、踊りは神に捧げるものであり、祈りの一つの形でもありました。
そこから派生して、歌舞伎、能、舞踊などの様々な芸能ができたと言い伝えられています。
その根底にあるのは神に捧げる、神を敬う心が込められているといえます。
日本舞踊は歌舞伎舞踊から生まれた
日本舞踊は歌舞伎舞踊が母体とされています。
現在の歌舞伎の原型が確立された元禄時代、芝居は立役(男役)のもの、舞踊は女形のものとされていました。
そのため、歌舞伎舞踊は物語性よりも女形の美しさを見せるのが主体でしたが、時代とともに、ドラマ性を持つ「舞踊劇」が誕生し、立役(男役)も舞踊の主人公となっていきます。
女形の舞踊は遊女か姫の役とされていたところに、少女の舞踊ができ、役の幅が広がっていきます。
これが後に『舞踊』へ発展していきます。
そして幕末になると、能や狂言を元にした格調高い舞踊が数多く作られました。
舞踏から舞踊へ〜女流舞踊の誕生〜
日本舞踊は、歌舞伎からの派生ということもあり男性が一般的でした。江戸時代に入ると、庶民の文化としても発展し、女性たちが自宅で踊る「民踊」が盛んになりました。
寛政の改革以降、庶民が文化や教養を身につけることが奨励され、女性たちも日本舞踊の習い事をするようになりました。
西洋の文化が導入される中で「舞踏」から日本式のダンスである「舞踊」という新しい言葉も作られ、大正期には古典舞踊に対する新しい舞踊作品を創造する運動(新舞踊運動)が起こったのです。
日本舞踊が「伝統芸能」として見直されることとなり、女性たちの踊りも認められるようになったのです。
女性の美しさやしなやかさを生かした「女流舞踊家」と呼ばれる人々が現れ、広く一般にも愛されるようになりました。
現代ではは多くの女流舞踊家と男性の日本舞踊家も多く存在しています。
老若男女問わず、何歳からでも習うことができ、誰でも舞台に立つことができるようになっているのは日本の伝統文化として「日本舞踊」が確立されたからなのです。
歌舞伎の衣裳担当を衣裳方(いしょうかた)と呼ぶ
400年以上の歴史がある歌舞伎は演目によってその衣裳が決まっており、大切に扱われ、代を跨いで引き継がれます。
中には作り替えるのが100年ぶり、なんて衣裳もあるのです。
その衣裳を担当する者を舞踊界では 【衣裳方(いしょうかた)】と呼びます。
江戸時代から伝わる歌舞伎衣裳や日本舞踊衣裳の着付けも行うのがこの衣裳方です。
衣裳方以外にも現場で鬘(かつら)を担当する者を 【床山(とこやま)】、化粧を担当する者を【顔師(かおし)】と呼びます。
それぞれの役者を舞台へ送り出すための役割と責任があるのです。
衣裳方の着付け技術は職人の特殊技術
衣裳方の行う着付けは現代の着付けと基本から異なります。
なぜなら、昔は時代ごとに身分の違いから身に着ける衣裳も違っていました。時代背景、時代考証から着付けの手法も違うわけです。
故に“時代衣裳“とも呼ばれます。
よく聞く舞踊着付けにでてくる言葉が
つの出し・後見・一文字・裾引き・狩衣・・・
これら日本舞踊独特の着付けには特殊な技術を要します。
大切なのは
『早く・美しく・踊りやすく・崩れない』
先人の衣裳方から何代も受け継いでこられた技に、己のアイデアを足しながら、でも本質はブレることなく自分のものにしていく世界なのです。
技術は自分で見て学び自分のものにする
私にも多くの諸先輩方がおられます。技術指導をして頂きますが、全ては見せてくれません笑
…見せてくれて無い、はずです笑
『あの人が結ぶ “つの出し“ はひと味違う、流石』
と周りを唸らせる、目に見えない隠された技がある。それこそが衣裳方の職人だからです。
『教えてくれないものは見て獲れ』
これぞまさに職人の世界です。
日本舞踊着付けの学びは現代着付けの本質を深める
日本舞踊の着付けを学び始めた頃、この学びを披露する場が私にあるのだろうか?と悩んだ時期がありました。
ここ岡山県倉敷市にいて、活かせる場所があるのかと・・・
しかし、日本舞踊着付けを学びはじめてから現代衣裳の着付けに対しての意識、心の持ちように明らかに余裕が生まれました。
仕事に対しても、お客さんの接待に関しても、ある意味の自信が持てるようになりました。
着付けを依頼されたお客様、当初は緊張された面持ちでしたが、着付けをしながら楽しく談笑して下さいます。
自分自身が「着付けをすること」に必死だとなかなか談笑しながらは難しいものです。
余裕を持った着付け姿は鏡越しに私に興味を持って接して下さる方も多くなりました。
腰紐がすべて
日本舞踊の着付けは時代背景に準じていますので、当然、現在一般的に使われている【着付け道具】などはなく、腰紐を使った着付けが基本となります。
着付けを極めようと考え抜かれ、現代の着付けがあります。
現代キモノの着付けの現場ではもちろんこれまで同様、使いやすい道具やゴム紐が使えるので、言ってしまえば最強なのです。
腰紐の役割、コツ、真理を知った上で便利な道具を使えることは最初から道具で学んだ着付けとは本質が違うのです。
きつけ塾を倉敷で開くことに
私自身この衣裳方に関わりはじめて10年が経った頃、師匠からお話がありました。
「倉敷できつけ塾を開いてはどうか」
「共に活躍できる仲間を自分で見つけなさい」
行く末には考えていましたがこんなに早く、こんなお話をいただけるとは思いませんでした。
コロナ流行の影響を受け、一歩が踏み出せずにおりましたが、準備が整いまして
2023年4月より
『全日本きもの文化研究協会』
『きつけ塾いちき』の分校として全国で5校目となるきつけ塾を
『きつけ塾こやの』
としてスタートさせる運びとなりました。
楽しく着付けを学び、そして続ける
どんなことも楽しくないと続かないものです。
きつけ塾いちき、本校が掲げるモットーは
『高い技術を、楽しく学ぶ』
とてもシンプルで、とても大切なことです。
日本舞踊着付けは本当に面白いですよ。
教室での学びだけでなく、舞台本番の現場にて、演者方、スタッフ方全員で舞台を作り上げるという意気込みに満ちた、あの楽屋の雰囲気は言葉では言い表せないほどの感動があります。
私は現場を経験できる度にやり甲斐と楽しさを噛み締めています。
是非、この日本舞踊の着付けの世界を一緒に楽しみましょう。
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きつけ処こやの
主宰 古谷野貢
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